学問とは④-あとがき2
以下、あとがき。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この「あとがき」のもう一つの目的は、自分の卒論を多くの人に読んでもらうための「助け」となることだ。この卒論を、教員や学生だけでなく、両親、親戚、学校以外の友達に読んでもらいたいと、僕は考えている。
僕は、学校の外で、「学問」に関して話しをすることほとんどはない。学校外の知り合いはほとんど働いていて、彼女/彼らから見れば、僕は「気楽に遊んでいる」ようにみえるらしい。「社会」を知らないらしい。悔しい。「俺だって、『自分の仕事』をしてるんだよ~」、「遊んでるだけじゃないんだよ~」、って言いたい。だから、僕の「仕事」の集大成である卒論を、そんな人たちに読んでもらいたい。だけど、僕の力不足もあって、この卒論は読みにくいものになっている。そんな時に、このあとがきを読んで欲しい。なんで、こういう論文を書くようになったか、個人的な思い出とか疑問を書いていくんで、すこしは論文がとっつきやすいものになるはず。
それじゃ、なんで「映画『ショアー』における〈不可能性〉」ってテーマで書いたかを説明したい。「人と人ってわかりあえるの?」「自分の気持ちって他の人にわかってもらえるの」「他の人の気持ちってわかるの」「真実ってなんなの?それを人に伝え、理解してもらうことはできんの?」、こんな疑問を僕はもっていたから、卒論はこんなテーマになった。ちょっとわかりにくいんで、僕の個人的な生い立ちを背景にしながら、説明しよう。
僕は、5歳から8歳までドイツのランツフートっていうところに住んでいた。で、そこの小学校に通っていたんだけど、僕の他、日本人はいない。で、いじめられる。中国人!中国人っていじめられた。そもそも、これをいじめと感じてしまうには問題があるかもしれないけど。(カトリックに関する授業を担当していた先生が、それをいじめと受け取ったら、中国人に対して失礼でしょ、って言っていた。)で、いじめもあったけど、結果としてはクラスにも受け入れてもらえた。そんな風な体験をして、僕は日本に戻ってきた。そして、そこでもいじめられた。しかも、ドイツよりも執拗に。まわりの子供達は、僕のことをドイツマンだの、ドイツ人と僕を呼んだ。何言ってるかわかんなかった。どう見ても、俺、日本人だろが。
大学に入ってすぐに、僕は学校にいかなくなった。何をしてたかと言うと、サークル活動とアルバイトだ。この二つが、僕が授業をサボるようになった原因でもあり、再び学校に戻ることになった原因でもある。サークル、バイトの二つで、僕は挫折をすることになったのだ。サークルは、人間関係の問題でやめることになり、バイトは自分のミスが原因でクビになりそうになった。両方に共通して言えることは、僕のコミュニケーション力の不足が原因でおきた、っていうことだ。僕は、目上とか、自分より「立場」が上の人に対して自分の考えとか思いを伝えるのが、すごく下手だった。今でも上手ではないけど。「立場が上の人」って書いたけど、俺って、そもそも自分が思っていること、考えていることを人に伝えたことあるのかな?自分が思っていること、考えていることってなんだ?それって人に伝えられるものなの?それは人にわかってもらえるの?とか、色々考えてしまった。こんなことをいちいち考えていたら、まともにコミュニケーションをとれるはずがない。サークルに関しては、こじれた関係を修復することになったのは大分あとになってからだし、いまも話をしてない人がたくさんいる。すごく迷惑をかけたと思う。バイトは、友人や先輩達に支えられ、なんとか続けることができた。
と身の上話がながくなってしまったけど、僕が伝えたかったことは、僕のコミュニケーション能力の不足が原因で多くの失敗をしたということである。ちっちゃいころからのつながりで言えば、日本→ドイツ→日本、と住む場所がかわって、言葉、習慣の違いからコミュニケーションがとれないことが多かった。「俺の言っていることの方が正しい、でもあんたはそれがわかんないでしょ」、っていうことや、「俺の気持ちは誰にもわかってもらえないっ!」、など考えてたりした。青臭いことだけど、相当悩まされ、苦しんだ。人と話すのが怖かった。人に否定されるのもいやだったして、理解されるのも怖かった。自分が、人の理解(期待)に応えられなくなるのが怖かった。こんなことを考えていたから、「不可能性」といってものに惹きつけられたんだと思う。で、ホロコーストや、日本の戦後の問題を考えるようになった。そこには多くの「不可能」があるから。
僕は昨年も親しい人から「お前は本音を言っていない」、「お前何考えているかわからない」と言われた。しかも、複数の人から。またまた悩んだ(悩むとこがいけないのかもしれないけど)。この「あとがき」と卒論が、そんな人たちに対する、一つの答えになればいいなと思う。
卒論自体はおそまつなものなのに、こんなに「あとがき」を長く書いてしまった。しかも、書いたのが睡眠不足で気持ちが高まっているときだったので、冷静になって読み返してみると恥ずかしい。しかも、この「あとがき」はちっとも卒論を読む手助けとなっていない。けど、そんな迷いを含めつつ、卒論を書いた軌跡として、この「あとがき」を提出したいと思う。
最後に、お世話になった人たちに感謝の意を示して、おわりとしたい。U先生。U先生のするどい指摘「なんで不可能性なの?」のおかげで、論文の執筆を進めることができました。お好み焼き屋「滝泉」での説教は一生の思い出です。K先生。K先生のおかげで、僕は大学で勉強する楽しさを知りました。というより、加藤先生がいなければ、僕は大学を卒業できたかどうかもわかりません。Y先生。Y先生から、学問とは何か?科学とは何かということだけでなく、様々なことを学ばせていただきました。先生と一緒にやった「平和学習会」で学んだことが基礎となって、今の僕があります。
多くの友人にもお世話になりました、名前をあげたらきりがないんで、特二人の友人に感謝の意をささげます。「ショアー」をみる機会をつくってくれ、勉強面でも、精神的な面でも支えになってくれた、Y.K.君。去年の12月に紹介してくれた保苅実の本を読んで、卒論進める力がわきました。僕とまったくちがった視点からつっこみをいれてくれるY.R.君。酒のみながら、なぜ勉強するのか?とか学問とはなんぞや、など議論したのはいい刺激でした。ありがとう。あんたらいなかったら、俺卒論書けなかったわ。最後に両親へ。他の人より二年間も余計に大学に行くことを許してくれてありがとうございます。出世したら、二年分の学費は返済いたします。
2005年1月18日歴史ゼミ共同研究室にて 柴田 祥
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「あとがき」を読み返す度に恥ずかしくなります。青臭いこと言ってるし、文章下手だし。卒論本文とは別の文体にしようと思い、砕けた感じにしたつもりなんですが、統一感がないですね。もっとブロークンにすれば良かったぁ。
ただ、何人かの友人・後輩が、「あとがき面白かった」って言ってくれるので、まぁ、よしとしましょう。卒論本文より「あとがき」の方が良いといわれる有様なんですけどね。
フランスの哲学者、ポール・リクールが死去したそうです。デリダも死んだし、思想関係の「巨人」で生き残っているのは、レヴィ・ストロースぐらいですかね(確かまだ生きてたはずだったような)。ちなみに、僕は卒論のために、リクールの本も読もうかなぁと考えていたんですが、数頁読んで挫折したました。
リクール死去関連記事はこちら↓。
http://www.h7.dion.ne.jp/~pensiero/diary.html
http://www.shikoku-np.co.jp/news/news.aspx?id=20050521000383
今日は、研究室に泊まって、研究&作業やっます。
最近飲み続きで、どちらも進めてなかったので、シンドイデスワ。
22日は金沢文庫芸術祭のバーベキューパーティーがありました。
すんごい楽しかったのです。
だって、女の子がたくさん来たんだもん…。
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コメント
once announces bald glider,devised jerkings!Tallchief,
投稿: | 2007年3月28日 (水曜日) 02:08
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投稿: best credit card rate | 2007年10月 5日 (金曜日) 19:48