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2005年3月28日 (月曜日)

機動戦士ガンダム

先日、友人から借りていたガンダム一年戦争シリーズのDVDを見ました。このシリーズをちゃんと見るのは初めてです。子どものころ、ZガンダムやZZガンダムは放送(再放送?)されていたんですが、一年戦争はみた記憶がありません。

ストーリー自体は大体知っていたのですが、やはりこのアニメ凄いです。
何が凄いかと言いますと、

その一 主要人物がガンガン死んでいきます。雑魚キャラではなく、マチルダ、リュウ、スレッガーなどの主要キャラがどんどん死んでいきます。子どもを対象にしたアニメで、これほど人が死んでいくのは他にはないのでは??

その二 主人公アムロが惚れやすい。出会う女性に片っ端から惚れていきます。しかも、皆年上の女性。敵軍であるジオンの女性にも惚れます。なんて浮気な主人公なんでしょう。子どもの情操教育にとって、これは良くないです。で、アムロに惚れられた女性は皆、死んでしまいます。そういえば、逆襲のシャアでも恋人が死んでいたような気が…

また、アニメの中でヒットラーについて言及されるなど、堅い内容もあり、様々なことを考えさせられます。あまりに面白かったので、Z、ZZシリーズ、逆襲のシャアもビデオ借りて観ようと考えています。あぁぁ、ガンダムオタクへまっしぐらですね。

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2005年3月14日 (月曜日)

鏑木清方と金沢八景

一昨日の土曜日に、金沢区地区センターで行われた、「鏑木清方と金沢八景」という講演会に行ってきた。講師は横浜美術館学芸員の八柳サエさん。鏑木清方は、市井の風俗を情緒豊かに描いた日本画家で、美人画でその名が知られている。

13時スタートの講演で定員は80名。12時30頃に行くと既に受付が始まっていた。入場は13時からということで、地区センターに併設されている区の図書館で時間をつぶすことにする。講演の内容の下調べをしようと、清方関係の本を探し、八柳さんの著書を見つける。タイトルは今回の講演と同じ、『鏑木清方と金沢八景』。ざっと、目を通す。

13時に会場に向うと、席が殆ど埋まっている状態だった。13時20分には、満席となる。来場者はほとんどが、60代以上の人たち。男女比は半々くらい。20代以下は僕一人で、すごくアウェーな気分。

なぜ、このような講演会に参加したかというと、大学院で金沢八景(を含めた金沢区一帯)を研究のフィールドにするので、少しでもこの地域の文化や歴史について学ぶためである。が、夜勤バイト明けで睡眠不足であったため、講演中何度もうたた寝をしてしまい、内容はほとんど覚えていない。

こんな状況で唯一勉強になったのは、講演前に読んだ『鏑木清方と金沢八景』を読んで、金沢八景という地名の由来を知ったこと。金沢八景の命名者は、中国明時代の禅僧心越(1639~1695)である。彼は、再び見ることのない故郷西湖をしのびつつ、西湖の美しい風景と金沢の地を重ね合わせ、金沢八景という名称を用いたという。ん~、いとをかしですな。

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2005年3月10日 (木曜日)

与謝野晶子

四連荘のバイトが終わった。

バイト先の近くにある伊勢佐木町商店街を歩き、先生堂書店にて、『与謝野晶子歌集』(鹿野政直・香内信子編、岩波文庫、1985年)と『与謝野晶子評論集』(与謝野晶子自選、岩波文庫、1943年)を購入。

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2005年3月 5日 (土曜日)

2005年度の予定

あと一ヶ月足らずで、今年度も終わる。今回は、2004年度を振り返るとともに、2005年の抱負を。

2004年度は色々と変化の多い年だった、五年間住んでいた大学の男子寮を出て、友達とのルームシェアを始め、2003年から参加している金沢文庫芸術祭(以下、芸術祭)では、事務局長という大役を引き受けることになる。周りの友人達も変わっていった。僕は、人より二年多く(六年間)大学に通った。仲のよい友達の多くも一年間は留年していたが、六年通う人はほとんどいなかった。皆、2004年の三月に卒業してしまっていた。2004年の四月になる、身近に親しい人がいなくなってしまっていた。こんな感じで変化が多く、新しい環境に慣れるまでに時間がかかった。

管理人さんが身の回りの世話をしてくれた寮とは違い、新しく住んだ家では、掃除、ゴミだし、炊事を全部自分でやらなきゃだめだったし、芸術祭では、毎回のミーティングの議題の考案、議事録の作成など、仕事が増えた。この芸術祭の仕事が結構大変で、最初のうちは「なんで俺がこんなことしきゃいけないの」と考えることが多かった。2003年に芸術祭に初参加したときほどのモチベーションは既になく、自分のやりたいこととのギャップに苦しんでいたというのも、芸術祭の仕事に魅力を感じることができなかった一因だ。僕は、2003年度に大学院の試験に失敗し、そのリベンジのために、もう一年留年をしていたので、大学院試験の勉強に関わらないことには、あまり首をつっこみたくなかったのだ。(その時はまだ、大学院では「表象文化論」という、一種の批評のようなものを勉強したいと考えていて、芸術祭は「趣味」でしかなかった。)

だけど、芸術祭を通して、様々な活動に参加し、多くの人と出会うにつれ、勉強したいことが少しずつ変わっていった。「理論的」なものより、「実践的」なもの。「抽象的」なものより、「具体的」なものを勉強したいと思うようになった。そして、志望の大学院も、専門も変え、現在に至る。

多くの人に出会ったこと。そして、出会った彼女・彼らから学んだこと。これが、2004年度で得たものである。2005年度は、僕に多くのことを学ばせてくれた彼女・彼らに今度は、僕の方から何かを「伝える」年にしたい。(もちろん、今まで以上に学ばせてもらうつもでもある。)ブログを始めたのも、その一環。そして、修士論文をその集大成としたい。

皆様、来年度もよろしくお願いいたします。

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