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2005年2月11日 (金曜日)

井筒和幸「パッチギ!」

今回は、井筒和幸監督の「パッチギ!」の意義と問題点を検討します。

ストーリーや、この映画に関して議論されていることは説明しません。「パッチギ!」を観たことがない方は、「パッチギ!」公式サイトや、Kawakita on the Web前田有一の超映画批評、2chの「パッチギ!」スレなどを読んで下さい。

はじめに言っておきますが、僕は、生まれは日本、育ちも殆ど日本です。在日朝鮮人ではありませんし、彼・彼女らについての詳しい知識もありません。

なので、これから「パッチギ!」について述べることは、「在日朝鮮人」という具体的な文脈を取り払い、ある程度、「一般論」になってしまうと思います。このような方法を採用する問題もあります。「在日朝鮮人」という個別の存在を無視することになり、この映画を矮小化してしまうかもしれないのです。在日朝鮮人の「歴史」を調べ、そのような事実と「パッチギ!」の関係をつぶさに検証していくのが、必要なことかもしれません。

それなのに、「一般論」の方法を採用するのには理由があります。

僕は卒業論文で「ショアー」というドキュメンタリー映画について論じたのですが、この「ショアー」をめぐる問題と、「パッチギ!」の問題には、ある種の共通性があると考えています。「ある人達が苦しんだ経験を、私たちはどのようにして知ることができるのか?理解することができるのか?」、これが「ショアー」と「パッチギ!」(のそれぞれの監督)が共通して取り組んでいる問いだと思います。僕は、この問いに注目するがゆえに、それぞれの固有性を離れ、一般的な話しをするのです。

「パッチギ!」の意義

「パッチギ!」の意義、評価すべき点は、「娯楽性」と「社会性」が共存しているところです。井筒和幸は、「在日朝鮮人と日本人の関係」という扱いにくい問題を、エンターテイメント仕立てで表現しています。これは、「パッチギ」について論じているサイトやブログでも、必ずと言っていいほど評価、指摘されるものです。

坂崎(オダギリ・ジョー)の酒屋のシーンなどは多少説教くさくもありますが、映画全体を通して、「在日朝鮮人」を含めた政治・社会の問題が、面白おかしく、取り上げられています。

「パッチギ!」の問題点

しかしながら、この映画の意義である、「娯楽性」と「社会性」の共存は、そのまま「パッチギ!」の問題点ともなります。「在日朝鮮人と日本(人)の関係という複雑な問題」を、「在日朝鮮人が受けてきた迫害、差別」をエンターテイメントで表現してよいのか、という倫理的な問題があるのです。

確かに、エンターテイメントにすることにより、伝わりにくいもの、扱いにくいものが、ある種の「わかりやすさ」が得て、観客に届くかもしれません。

しかし、問題の中心にいた当事者達にとってはどうでしょうか?チェドキの葬儀のシーンで、康介を責める人たちは、映画の中だけでなく、現実に存在するはずです。彼女・彼らは、どのような気持ちで、この映画を観るのでしょうか?

自分達の苦しみが、伝えられるようになってよかったと思うのでしょうか。それとも、その「伝えたれ方」に憤慨を覚えるでしょうか。きっと、どちらか一方、もしくは、二つの想いが微妙に混ざり合った気持ちになるはずです。

僕がここで言いたいのは、「『パッチギ!』のような描写の仕方じゃなければ、在日朝鮮人のような問題は扱えなかった。(注目されることはなかった)」とか「在日朝鮮人の苦しみを『パッチギ!』のような描写の仕方では、扱うべきではない」ということではありません。

、「パッチギ!」のように、在日朝鮮人と日本人との関係を、「エンターテイメント性」を兼ね備え表現するやり方は、一見すると有効に思われますが、そこには問題が必ず残るのではないのか、ということです。

この問題に対して、僕はまだ解決策は思い浮かびません。膨大な情報が「消費」される今日、ある種に「エンターテイメント性」をそなえていないと、そもそも、人々に見向きもされません。人の目を惹くには、注目されるには、「エンターテイメント」の要素がなけれがいけません。観るものに、喜怒哀楽の感情を引き起こさせるもの、カタルシスを与えるものがないと、多くの人には注目されないのです。

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コメント

ブログ確認コメント足跡。「情報の伝達を目的とした会話」で吹き出しそうになりました。えへへ(´▽`)ノ

そんなわけでちょくちょく遊びに来ます。
あと裏八景芸術祭も楽しみしていますね。
アンダーの裏だからそれはそれは大変な事に!!

投稿: リュウ | 2005年2月15日 (火曜日) 22:37

足跡を残すことを目的とした書き込みしまっすm(__)m
お久しぶりです、素敵なブログですね☆
そして内容も濃い!さすがです!!
これからちょくちょく覗かせていただきます(^^)

投稿: くぼけいこ | 2005年2月15日 (火曜日) 23:58

足跡を目的としたコメントです。むむ。充実した内容そうですね。また遊びにきます!

投稿: 金子 | 2005年2月16日 (水曜日) 00:21

在日の側からの日本人への立場というか心境というのは葬式のシーンでコウスケが受けたようなものだけなんでしょうか。この映画の中できっかけとなった恋愛感情抜きにして日本人と仲良くしたいという考えの在日の方はいるんでしょうか。それを含めて在日の方はいまの朝鮮半島の情勢についてどう考えているのかかなり気になるところです。

投稿: 眼鏡部 | 2005年2月16日 (水曜日) 04:15

映画とか小説を作品ではなくメディアとして捉えた場合、その時、情報の受け手はそれに対して強くコミットするので、そこに現れるであろう「問題」たしかにあるかもしれないけど、情報を消費するだけにおわらないきっかけ作りは期待できるんじゃないでしょうか。
ちなみにコミットという単語は村上春樹からパクリましたw

投稿: いがぐり | 2005年2月18日 (金曜日) 18:53

皆さん、コメントありがとうございます!!

このブログは一週間に一回くらいのペースで更新していくので、今後もよろしくお願いしま~す。

投稿: シバショウ | 2005年2月19日 (土曜日) 04:29

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